先週、所用で東京へ足を運んできた。 日本の経済を動かす巨大な心臓部。新宿や銀座の駅を降り立ち、まず目に飛び込んでくるのは、空を切り裂くようにそびえ立つビルの群れだ。不動産屋という職業柄、どうしても街の「容積率」や「空中階の活用」に目が向いてしまうのだが、改めて東京の特殊性を痛感させられた。
1. 「2階の飲食店」が成立する、異常なまでの密度
東京を歩いていて最も京都との違いを感じたのは、**「2階、3階といった空中階でも当たり前に飲食店が繁盛している」**という点だ。 京都において、飲食店の鉄則はやはり「1階路面店」である。暖簾をくぐる文化、道ゆく人と店が地続きである安心感。京都では2階以上の店舗は、よほどの隠れ家か強力なコンテンツがない限り苦戦を強いられることが多い。
しかし、東京は違う。 路面店だけでは、押し寄せる人の波を到底さばききれないのだ。だからこそ、商売は「垂直」に伸びていく。10階建てのビルすべてが別の飲食店で埋まり、どの階のボタンを押しても客が溢れている。 「まちの大きさが人よりも大きい」というより、「巨大な都市装置が、人というエネルギーを垂直方向に吸い上げている」。そんな凄みを感じた。
2. 「河原町」が10個ある街、東京
京都にとって、四条河原町は唯一無二の太陽だ。しかし東京には、その太陽がいくつも点在している。 新宿、渋谷、池袋、銀座、日本橋、秋葉原…。京都人から見れば「超・河原町」級の巨大な街が、山手線沿いに10個も並んでいるような感覚だ。 それぞれの街が独自の文化を持ち、数百万人の昼間人口を飲み込んでいる。この「多極構造」こそが、東京が世界一の経済都市である所以だろう。
もし、我らが「四条」が東京23区に殴り込みをかけたら、何位くらいに位置するだろうか。 人口規模や通行量という「数字」だけで見れば、新宿や池袋のようなモンスター級のターミナルには及ばないかもしれない。しかし、**「歴史の厚み」と「ブランドの密度」**で言えば、銀座や日本橋と肩を並べる一等地であることに疑いはない。東京の街が「消費」の場であるなら、四条は「継承」の場。この違いは、不動産価値の質そのものが違うのだ。
3. 銀座の「領収書」と、祇園の「絆」
夜は銀座のクラブへも足を運んだが、ここでも「客層」の明確な違いに驚かされた。 銀座の夜を彩るのは、経済の最前線で戦うビジネスマンたちだ。飛び交う会話は「数字」「マーケット」「投資」。いわば「領収書で飲む」という文化が、あの洗練された冷徹なまでの華やかさを作っている。
対して、私たちのホームグラウンドである祇園はどうか。 そこにあるのは「地元の繋がり」であり「血縁」であり「歴史」だ。旦那衆が数十年かけて築いた信頼関係、お寺や老舗の旦那様方が守る伝統。ビジネスの成果を競う場所ではなく、人生の余裕と品格を確かめ合う場所。 銀座が「経済の最先端」なら、祇園は「文化の最深部」。どちらが良い悪いではなく、住む世界が根本的に違うのだと改めて感じた。
4. 不動産屋としての結論
東京の圧倒的なスケール感に圧倒されたのは事実だ。効率を突き詰め、空中の1センチまで収益化する東京の不動産ビジネスは、まさに「攻め」の極致である。
しかし、京都に戻り、建物の高さが抑えられた四条の空を眺めた時、不思議と安堵した。 1階の暖簾をくぐり、顔馴染みの店主と挨拶を交わす。この「人間サイズ」の距離感こそが、京都の不動産が持つ、数値化できない真の価値ではないだろうか。
東京の「垂直」な成長を学びつつ、京都の「水平」な豊かさをどう守り、発展させていくか。 リバティ池善として、私たちが取り組むべき課題がより鮮明になった出張だった。